「それじゃ桂さん、僕は出ますけどゆっくりしていってください。あ、銀さん寝てますけどおかまいなく起こしてください」


新八という少年は、万事屋のチャイナ娘や、言うまでもない銀髪の男(今はソファで寝ている)にふりまわされるときには破綻した表情を正直に見せる癖に、こういうときは何も知らない礼儀正しい人間をよそおうのだと桂は何となくぼんやり思った。こういうときだけはまるきり大人びている。玄関の引き戸がぴしゃりと閉まる音を聞いていよいよ、その音にだって好意もひとかけらの悪意も感じられないのは、ほかでもない、彼がある種の困惑を隠しているからだと知った。彼や小さな娘から自分が銀髪を奪うとでも思っているのだろうか。巧妙な隠し方だった。牽制するならばいっそすればいいと思ったがしかし、もし少年や少女から嫌わるようなことがあれば、それはそれで銀髪におかしな気を遣われるより何より桂にとってはつらいのだ。

こちらとあちらのあいだの河を渡るための、橋がある。しかしもう二度と銀髪はかつて渡った対岸へ、俺のいる岸へ、戻ることはないだろう。

部屋の隅につくねられた無料のアルバイトを募る雑誌や230円の週刊少年ジャンプやそれよりもう少し高いグラビア雑誌の束がすこし滑って崩れた。最初はほんの少しの変化なのだ。もう半刻ほどでそろそろ窓から西日が射し込む。かぶき町のネオンがあかあかと点り始めるだろう。夜になれば闇に乗じて警邏が黒い制服で取り締まりに入る。繁華街を抜けるにはそろそろここを出なければいけない。新八にはゆっくりしていけと言われたが、大体ここで自分が何をすることがあるというのだろう。せめてソファで寝ている男を起こしてから帰ろうかと思い銀時へ視線を遣ると、熟睡していると思いきや、瞼が半開きで、気色の悪いことこのうえない。

「銀時、起きるか寝るかどちらかにしろ。というかその眼をやめないか。早く起きろ。いやむしろもう二度と起きなくても好ましいな、」
「…るせーな人が寝てんのに」
「俺が起こしてやってるんだから起きろ」
「ヅラ俺のこと好きなくせに」
「何だいきなり」
「ずっと俺の寝てるとこ見ててもいいのに」

からだをゆっくりと起こし頭を掻きながら喋っていた起き抜けの銀髪の男のすっとぼけた真顔がふいに近づいてきたが、それを避けたり拒んだりすることはもはや今の桂にはできなかった。昔を思いだした。目に見えないような速さでその白い髪はぐっと肉薄し、刀を振るうなり敵はあの腕に薙ぎ払われている、のだ。くちびるが何かものを食べる前のように少しひらき、その後どこまで入るのだか探りながらさしこむように舌で追って来られて、息をのんだ。動けない。起きたばかりの銀時のくちびるは乾いて熱い。肩を押してからだを離せるだけ離しそれでも至近で向かい合い、肩を掴んだまま、起きてたならそう言え、と言おうとすると、また笑ったそのままのくちびるで口接けられ、好いようにされていると思い知ると羞恥で頬が熱くなった。先刻まで銀髪が寝こけていたソファに背骨を押しつけられ、体重をかけられると少し沈んだ。寝ている人間の体温をうつしたまま時間の経たないソファが、日だまりに残った太陽の光のようにあたたかかった。だってお前、いま、

「俺のこと好きでときどき辛いくらいなんじゃないの」
「……」

桂が見上げた銀時がだって俺もそうだったもん、というなり銀髪を桂の頸に沈めて、口接ける場所を探すように、黒く流した髪に吐息をこぼした。よけいにソファへ押しつけられて、抵抗の意味で肩をひねるが、懐に手を入れてそのまま肩まで銀時が服を剥ぐ。大きく肌蹴られる。頸すじをたどり鎖骨をなぞり胸骨を齧るつもりか歯をたてた。薄い舌がおそるおそる膚にふれてくる。口接けのときとはまるで違う舌のようだ。
「銀時、何やってるんだ、」
できるだけ乾いた声でそう呼んでやった。そういうことが言葉無しで成り立つ関係か、俺たちは。そういう意味だ。我ながら酷い言葉だと思った。お前のやってることはただの勘違いだと言ったにひとしかった。銀時がはっとしたように顔をあげる。俺は銀時からそれよりももっと酷い言葉をかけられる予感がする。泥仕合のような応酬だ。
「…悪ィ、」
「何だそれは」
「嫌だった?悪かった。ごめんて。」
銀時はばつの悪いような顔をしてはいるが、俺のからだに馬乗りになったまま退こうとしない。ほとほと目眩のしそうな彼の甘さに俺はほとんど嫉妬しながら、口をひらく。
「いや、……俺が悪かった」
「……はァ?」
「だから、俺が悪かった。もう帰る」
「そっちこそ何だよそりゃ。俺が襲ったのが悪いんだよ。文句あんのか」
「嫌だったかって嫌なわけがあるか、馬鹿」


ばさ、ばさ、と崩れかけていた雑誌の山がまた滑って崩れた。ちょっとのあいだにもう射し込む陽が傾いている。銀時はこちらへ渡ってきそうになったことに気づいて手を反射的に引いたのだろう。桂の意図はどうあれ、からだをその橋として使うことになったことが桂には後ろめたかった。色仕掛け、などと口に出すと何だか堪えようも無く可笑しいが。

「だから俺が悪かったって言ってんだろ」
「銀時、彼は気づいてるぞ」
「はァ?何でいきなりあいつが出てくんだよ。銀サンが過去を持つオトナだってことあいつはしっかり判ってるガキだよ」
「あの子だって今に俺をうとましく思う」
あの子、という言い方に銀時が眉を寄せて口を開きかけたとき、あの子がドアをピシャンと開けて大きな犬と一緒に走りながら飛び込んできた。銀時が、頓着しない桂のくつろげた胸元を変わりに慌てて閉じる。
「銀ちゃーんただいまアル!」
「オメーもうちょっと静かに入ってこれねーのか」
「ヅラ来てたアルか。歓迎するアル」
「何でそんな偉そうなんだよ」
「もう失礼する」
「それじゃ見送るアル」
「あのなー銀サン今ヅラと大切な話してんの」
「ヅラが帰る言ってるアル」
「あー…さっきの、嫌じゃなかったならもーそれでいいわ。まあ俺が悪かったけど」
「悪かったのは俺だと言ってるだろう」
「いい大人がケンカしたアルか」
「ちげーよアホ」
「それじゃしっぱいしたアルか」
「何だよ失敗って」
「ああ、あるいはそうかもしれないな」
「へ〜銀ちゃんとヅラしっぱいしたアルか」

失敗ね、しっぱい、と口に出しながら銀時は桂を玄関まで見送る。定春が、おん、と吠える。桂は失敗と言われたさっきのことを思いだしていた。自分たちは何をやっていたのだろう。押しとどめる力があるのなら力まかせにいってしまってもよかったのだ、それをみすみす自分たちはしっぱい、させてしまったのだった。壊れやすいものなら壊してしまえば安心する心理だろうか。あやうさに心を惹かれて盲目になることはもう不可能なのだろうか。
下履きを履こうと背を向けた桂の髪に一瞬銀時が指をふれた。銀時は桂のたらした髪の先を誰にも見えないようにすこしさわる癖がある。髪に神経でも通っているかのように桂はそれに気づきそのたびにいつも誰かの目に晒されて膚にふれられるよりよっぽど羞じるが知らない顔をする。それを銀時はいつも誰の目にもふれないようにやってのけるのが、ことさら秘め事のようで落ち着かなかった。しかしそれを今やるか、ということを桂は思った。動物とこども(そう言って差し支えないだろう)は大抵のことは見逃さない。誰にも口をひらかないが、その円らな眼で何でも見ている。

すぐにその手は髪から離されるが、さっき噛まれた胸骨へのみちすじのように、それは余韻を持って桂のからだに残る。玄関をでて、ピシャリと好意も悪意もなく閉めることができたかすこし心配になる。陽が落ちかけているかぶき町を俯きながら早足で歩く。橋を渡って絶望と希望の対流する対岸へ戻るのだ。

今夜眠らずにいるとすると、このまま気の遠くなるまで待たねば夜明けがこないのかと桂は思う。


















'050413 - '050413 衍田トカ

神楽に「次はせいこうするアルヨ」って言わせようとしたけどそれじゃどうあがいてもある意味下品なギャグにとれてしまって台無しなので諦めた。文章を書くには色々な可能性がありますよね。