傷跡




俺がサンディエゴのホッジ総合病院でチャッチャッチャッとメスとピンセットをナイフとフォークのように構えて持ち、うやうやしくステーキを食べるようときのように血でぐっしょり濡れた重たいガーゼを少し持ち上げたりして救命救急医をやってたそのとき、そのときに俺は気づいた。ピキーン!それは天啓だった。イエズス・クライストの与え給うたみことばだった。俺は人間の身体を開いて閉じるのだ。切って切り縫って縫い合わせるのだ。サクサクサクサク・チクチクチクチク。日本じゃどうか知らないが米国の少なくともホッジの外科医にはオペの前に十字を切る主治医さえいた。あんなのは俺が患者なら嫌だった。俺は無神論者だ。

無神論者であることも手伝って、腕利きの外科医になって数年経つってのに今頃天啓かよ、と俺はそれをあんまり気にしなかった。それは確かに俺に訪れはしたが、大体啓示とか何とか言うがそんなものすべて脳の中の幽霊がつくりだしたまぼろしなのだ。俺の手術痕はなかなかきれいに消えると評判だった。シローは日本人だからな、手先が異様に器用だぜとからかわれた。エメラルドグリーンのオペ服を着たままその上に白衣を羽織ったままおふくろの様子を見に日本へ飛行機で飛ぶその一週ほど前予後を診た患者に至ってはすばらしかった。その傷跡はもはや芸術品のようだった。その更に一月ちかく前に運ばれてきた患者は色が白く頬の青褪めたうつくしいブロンドの女だった。モデルか何かをやってるということだった。傷はできるだけつけないでくれ、そう頼むマネージャーや家族に俺は200%応えた。ヒュー!予後の患者の傷跡を診るたびに俺は口笛を吹きそうになった。彼女が若いこともあって傷口の細胞はみるみるうちに皮膚を再構築した。完璧なリストラクチャーだ。静脈の透けるようなうつくしい若いモデルの白いかたちのいい胸と腹を診て、俺は幾度も神聖な気持ちにすらなった。(その後には必ずナースと暗い密室で抱きあって中指をつっこんで少しうとうとと眠った)あの白い光沢のあるケロイドなどどこにも見当たらなかった。そこには何の事件も起こらなかったようだった。うつくしい娘はもはやばら色の頬で俺に何度も謝辞を繰り返すのだった。イエー。

さて、三郎が数多くの友達の女と寝るとき、それは一見無情な行為のようでその実その友達を独占したいがためではないかと俺は思っていた。つまり友達に対する裏切りに似た愛情と欲望の結果だ。ピナスはふつう男には入れないだろ?だからその愛情と欲望のエネルギーの宛先は女だ。その仮定が正しければ一体俺は何だ。三郎と何度も寝てしかもピナスをばっちり入れられてる俺は何なんだ。それに気づいたとき俺はぞっとする。


二郎か?二郎なのだろうか。

                              あーあ。


「おにいちゃんて言うてみー四郎」
ったく三郎のこういうとこが俺は大嫌いなのだ。それでも俺は言ってやる。サービスばっちり、喘ぎながら三郎に向かって言ってやる。
「あ、ッ、おにいちゃん、」
ったく俺のアホ!羞恥が背中を駆け上がる。何なんだ、クソ。しかしこんなこと二郎は言わねーぞ。お前におにいちゃんと言うのは奈津川四郎たった一人だけなのだ。三郎と寝るときにときどきいなくなった二郎を思いだす。二郎は苦い。だからことさら三郎が俺にとって甘かったのだ。三郎の胸板が俺の胸板に押しつけられる。身体の重みそれだけはちょうどよく、心地いい。それ以外は、苦しいか、好すぎるかだ。重なりあい兄弟で姦淫を犯す俺たちは誰かが横からみたらそれこそ俺たちがひとつの大きな傷跡のように見えるかもしれない。それは一生治らないのだろうか。俺としては、三郎が三郎の掌を俺の掌に重ねて握るたびに、同じ長さの腕を押しつけ同じ長さの脚を絡めるたびに、そこから熱くなって溶けて溶けて溶けてひっついてきれいな一本の引き攣れた光るケロイドでもできるような気が、ときどきできるような気がしてならないのだが、かなしいかな俺たちは違う生きものなのだ。