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春は18歳の死人が多い。 三月は東大にふられた若者たちが世をはかなんで何人も高い場所から飛び降りるし、四月は新東大生が新歓コンパで飲み過ぎて急性アルコール中毒で、五月はお決まりの五月病で鬱で睡眠薬を服みすぎて死ぬ。みんな死ぬほど勉強したのに、と思いながら議員宿舎のベランダで俺は一服する。夜だ。夜の千代田区を煙がたちのぼり苦い香りは外へと向かう。死ぬほど勉強したのに本当に死んでしまうなんてなんだか悪い洒落のようだ。東大生はある意味で奇妙な連帯感を持っている。他へ行く場所がなかったのだ。スタート地点やルートは違えど、一分一秒違わずゴールしたその瞬間を共有しあった仲じゃないか。もう死んでしまうのか。それともそれは生きていれば必ずまわってくる順番のようなものだろうか。三月に死ぬ18歳、四月に死ぬ18歳、五月に死ぬ18歳、それはクラス全員に日直がまわってくるように何かの順番にしたがって半ば強制的にめぐってくるのだろうか。それを彼らは喜んでひきうけるのだろうか。苦しんでひきうけるのだろうか。 しかし好きにすればいい。どうだっていい。 新歓で隣で飲んでた奴が死んだらしいと聞いたのが今日の午後だった。もう誰から聞いたのかも忘れたが俺はその声を反芻した…がそれもはっきりとしない。訃報を俺に知らせたそいつは不謹慎な自分を抑え難くてなかば嬉しそうにそれを言っていただろうか?前途ある同朋を亡くした悲痛な沈痛な面持ちで言っていただろうか?それともそれは可も不可も無い世間話だったろうか?そもそも故人の名前やそれどころか顔でさえはっきりとしないのだ。彼は俺の隣でずっと飲んでいたそうだ。(ほら奈津川の隣でビール飲みまくってた奴だよ、あいつ)ああ、と俺は思いだしたような顔をしたが周りも自分も誰が誰だか忘れるほどしたたかに酔っていた。どうしてあんなに酔う必要があったのだろう。 煙を吐き出すと指に挟んだ煙草の灰を真っ暗な階下へ少し落とした。夜中だ。宿舎沿いの道には誰も通らないほどの。灰に赤く点ったかすかな火が落ちていくうちにふっと消える。あの日は渋谷で飲んでるうちにそういえば新宿乗り換えの奴らの終電がなくなって仕方なくこの部屋へ4、5人だろうか、泊めてやったのだった。丸雄が福井へ留まっているときだったのは幸いだった。未成年ばかりの酔っぱらいを雑魚寝させてやったあくる朝、二日酔いの同級生たちはここが九段にある五万の安アパートだと聞いて首を傾げていたが、窓から外を見て政治家連中の迎えの黒塗りの高級車で埋まる通りを見て肝をつぶしていた。彼らは礼を言って安アパートをあとにしたが、酔いが醒めないまま帰ったからか遺留品も多く残した。新歓で偶然隣あった彼ら全員とキャンパスでもう一度会うのは至難の業だった。なにしろ俺が名前を憶えていなかった。忘れられ置き去りにされた品々―携帯のストラップや前期講義のシラバスやボールペンやレシートやコンドームをそれぞれの持ち主に返すことを俺はほとんど諦めて、駒場の駅のゴミ箱にまとめて捨てた。シラバスを忘れた奴に声をかけられて忘れなかったかと訊かれたが知らないと言って通した。そういえばそいつが訃報を知らせてくれたのだった。 俺が遺留品の中でただひとつ捨てずに置いていたものがある。それが今喫っている煙草だ。箱は封を切られて喫みさしだったがほとんどが残っていた、見たことのない銘柄だ。もしかするとありふれたものなのかもしれないが、普段あまり喫わない俺にはよく分からない。あれからふと思いだしてはときどきベランダへ出て火をつけている。短くなった煙草を棄ててから箱を振ると、もうあと一本しかない。俺はためらわずに残った一本に火を点けた。 しかし火を点けた煙草を咬える気にならない。手が、ゆらりと煙をたたせる煙草を持ったままぶるぶるとふるえはじめる。それを止めるためにもう一方の手で手頸を強く掴む。ふるえがもう一方の腕もがくがくと揺する。やにわに背骨をするりと寒気がはしってわなないた。脈がすこし速い。俺は突如、これが名も知らない死んだ同級生の形見の品だということになんとなく気づいてしまった。だからふるえているのだ。何故か確証もないのにわかってしまったのだ。ばかばかしい。どうして俺は他のものと一緒にこれを棄ててしまわなかったのだろう。惜しむことなど何もないはずだった。煙草なんか買おうと思えばどこでだって安く買えるのだ。喫おうか喫うまいか迷ったあげく、俺はふるえたままフィルターに口を近づけた。心は妙に静かだった。体だけが焦っているのだ。 肺まで吸い込む。苦しくなるまで息をとめて、ゆっくりと吐き出す。そういえば最近は煙草を喫うときにしか深呼吸をしていなかったような気がする。 死んだ人間が星になる、と幼い俺に誰が言ったのだったか、おそらくおふくろだろう。俺は最初から別に信じていなかった。二郎はずっと信じていた。ベランダから少し乗り出して塗りつぶされたような夜空を見上げるが福井のような満点の夜空とはいかない。 「やって、毎日何人の人間が死んどると思っとるんじゃ、それだけ毎日星になっとったら夜が昼間みたいに明るくなるわ」 俺はそんな風に言った気がするが、二郎はそれでも毎日星が増えていると言って聞かなかった。毎日夜空を見るように俺に言ってあの星が増えた、この星が増えたと言った。言われるとそれは不思議に見たことがないかもしれないと思え、六等星にも満たない輝きを放つ小さなあたらしく生まれた星を確かに二郎は毎日見つけているのかもしれないと思えるのだった。移動式地獄と化してからの二郎は毎日確実に周りの奴をお星様にしていたが星の好きだった二郎らしいと言えるかもしれない。二郎と丸雄のことをそのままにして家をでてきたことを俺は少しうしろめたくも思っていた。その一方でときどき弟のことを考えなくともいいことに安心していた。錘のつながれている鎖が何百キロメートルにものびたのだ。距離は俺を完璧ではないにしろ自由にした。 俺は夜空へ向かって煙を吐き出した。かわいたくちびるがまたわなないた。新しい煙草を彼は死ぬまでに買ったのだろうか。それとも買わないまま死んでしまったのだろうか。なんとかと煙は高いところが好きだと言う。それなら上を向くまでもない。これは、この煙は、どこまでのぼっていくのだろうか。彼が死んであたらしく生まれた星の方へ行けばいいとぼんやりと思った。彼はどうして死んだのだろう。今はぎりぎりで五月だから、睡眠薬の服み過ぎだろうか。それとも、季節遅れの急性アル中、でなければ季節を選ばない交通事故だろうか。 夕方おふくろから電話があって今週から福井は梅雨入りだと言っていた。六月の18歳は何が理由で死ぬのだろう。たった今、雨が降り出して、このまま梅雨前線が何週間も東京を支配することになれば、俺は間違いなく外へ傘もささずに佇んでしまう。濡れても構わずずっと雨にうたれているだろう。 六月の18歳はそして濡れねずみになりながら肺炎で死ぬのかもしれない。 灰をコンクリートのベランダへこぼして瞼をおろす。ここは福井じゃない。 東京の梅雨入りは来週だから、俺は死なない。六月に死ぬ18歳は俺じゃない。 |