そのため息でいいから俺にくれませんか




※わたしとしではらさんしか楽しくないかもしれない荒巻緒方(研修医なな子)



 外科医は派手だというのが医師の中での暗黙の了解で朝から始まったオペが終わった後はさっさと女のところへ遊びに行って朝まで飲んでるとか自家用車(もちろん外車)(何台も持っている)にしか乗らないので山手線でかなり前に導入されたSuicaを知らないとかよく言われるが、勿論それは間違っている。緒方先生はオペ中は頭がブッ飛んでるけど腕もいいし手術数もちゃくちゃくと増やしているので給料も同じ歳に卒業した内科医よりかなりいいはずだが、それでもその顔の異様な整いかたと違って別段派手なようすはなく髪が長いのもおそらくは切る暇がないだけだ。俺はというとオペでは人間の脂でぬるつく鈎引きをやってるしそれが終われば外来をこなしカルテを書き当直で寝不足、女っけのない消化器外科では同僚に一人なな子がいるだけで金もいつも足りずマイカーどころかすずめの涙ほどの電車賃にすらひるむ始末だ。


 緒方先生は生き方がどことなくずさんでK大医学部を主席で卒業するまでの6年間に20人近くの女とつきあったらしいともっぱらの噂なのにそれをこの前ナースステーションですれ違ったとき問いただしたらはァ?と時計の針も読めないような子どものような顔をされた。忙しいんだからどあほは黙ってろ。そう言って白衣の裾を翻して行ったが俺は知っている。緒方先生は昔のことなどほとんど全部忘れてるのだ。別れ方もたぶん飽きて捨てたとか、ポリクリが始まって忙しいからとか言ってポイだろう。酷い人間だ。俺は俺が6年間につきあった女の子のことを思いだして何となく安心する。俺は(遅刻は毎回するけど)酷い人間じゃない。しかしそれが何だっていうんだ。緒方先生の白衣を見てると脱がしたくて堪らない。何であんたが毎日死にそうな患者を救えるんだ。俺が救ったんだ、なんて言って得意げになる唾を吐きたくなる医者でもない。そんな暇があったら、次へ行くのだ。あんたは酷い人間じゃないのか。どっちなんだ。


 ある日、俺は当直で緒方先生と一緒になった。本当なら緒方先生はなな子の指導医だから俺じゃなくてなな子がここに居るべきなんだが、なな子が土壇場で「生理痛で死ぬ」と言ってすごい形相で泣きついてきたので怖くなって代わってしまったのだった。俺は緒方先生への理由のない軽いルサンチマンの置き場がなくて二人になるのが何となく嫌だった。それは緒方先生の前で噴き出しこそしないだろうけれど、俺はそれを押し込めるのが嫌で堪らなかった。我慢が嫌いなのだ。眠たいのを我慢して起きるなんてとんでもない。

「それじゃお前先に仮眠とっていいよ、適当に起こすから。起きなかったら殴るからな」
「分かりましたでも殴んのは勘弁してください」
「…いや本気だから」
「はは、何がですか」
 苦笑いの俺にそれでも緒方先生の顔はかなりマジ入ってて思わず訊き返すがその後に重要なことに気づいた。
「あ」
「ンだよ、早く寝ろよ」
「宿直セット忘れました」
「はァ?」
「携帯用枕とか、アイマスクとか。なな子に急に代われって言われたもんで」
「贅沢モンだな、そんなもん無くても寝れんだろ。俺は寝れるぞ」
「威張らないでください、アイマスクは別に要らないんですけど枕がないと俺どうも寝つき悪くて」
「荒巻、膝枕してやろーか」
「いりません」
 あーきた。緒方先生はシラフでこういうことが言えるのだ。俺は動揺を隠すためにそそくさと仮眠用ベッドに横たわって毛布をたぐり寄せる。
「へーへー、お気遣い痛み入ります」
 さっさと寝ますよ。緒方先生に背を向ける。
「遠慮すんなーくそばか」
 笑いながら言う先生に、そんな引きずるようなネタでもねーだろ、と俺は思いつつ目を閉じる。緒方先生は電気を消してくれる。ありがとうございますお休みなさい。言うと緒方先生が笑った気がした。ほんとにきれいな顔の人だ。いや、何て言ったらいいんだろう、顔だけはきれいな人だ、の方が正しいのかもしれない。ともかく俺は現実の緒方先生じゃなく瞼の裏に焼き付いた緒方先生に、そう思った。

 当直の仮眠は夢を見やすい。大抵は疲れてるし、その癖眠りが浅いからだ。混濁する意識がかき混ぜられる。今日の夢の中で俺は死んでいる。献体をして、ホルマリンに浸けられて固定された後で解剖されている。学生が俺の周りを取り囲んでピンセットでつつきメスで切り刻み、この人神経太いねーか何か言ってる。うるせえ、と俺は腹や胸を開かれたまま目をかっとあける。神経やら血管をたらしてもがくと、屍体が動き始めたのに学生たちは驚かない。また動いてるよこの御遺体。死にきれてないんだねえ。まあいいじゃん。また疲れて寝るでしょ。ひどく勝手なことを言い交わしている。あーじゃ俺膵臓ちゃん切っていい?取りたい。いーよじゃあ緒方ちゃんやんなよ。つか緒方ちゃん興奮しすぎ、膵臓ちゃんて何だよちゃんって(笑)。
 学生の中に緒方先生が居るらしい。俺は焦ってまだ取られてない眼球をめぐらす。メスさばきもまだ不確かな幼い感じの緒方先生、つってもまあ20歳いかないくらいだろうけど、がいて、俺の腹膜をめくって腹腔を手でさぐっている。その手つきは俺が死んでるというのにあくまで涙がでそうに優しくて、俺の腹腔はそのゴムをはめたきれいな手でゆっくりと撹拌されてるようだ。俺は何となく気持ち良くてうっとりする。やばい。

「あれ、何だこれ」
 学生の緒方先生が俺の腹の中から何かをにーと引っ張りだす。それは黒い血でぐっしょり染まった小さな紙片で、八つかもう少し多く折り畳まれている。学生たちは最初は何それ?とか誰かのアトラスのコピーじゃねえの?とか言ってたのに緒方先生がそれを開き始めるとしんとして周りに集まり始める。何て書いてあるんだ?俺は腹の中にあった紙に何が書いてあったのか、ひどく気になり始める。緒方先生俺にも見せてください。そう口を開くと、緒方先生がにこにこして血やなんかでねとついたままの手で俺の頬を触って顔を寄せてくる。うわ汚な!俺は思うけど緒方先生の顔がきれいなので変に顔を歪めたまま口だけで笑ってしまう。
「荒巻、お前そうだったんだな、」
「早く言えばいいのに」
「死ぬ前に言っとけばよかったのに」
「荒巻」
「荒巻」
「荒巻」

 緒方先生のきれいな顔しかも笑顔が、俺には眩しい。この顔だったらまあ確かに20人は容易いなと思う。眩しい。




「起きろくそばか、殴るぞ言ってた通り」
 眩しいと思ったら当然部屋の電気が点けられたからでしたよねっていうあまりにもベタなオチで、俺は朦朧とした頭のまま、俺の顔の上で様子を窺う緒方先生の翳で部屋の電気が遮られているのがちょうど好いので、そのまま動かないでください、と掠れた喉で言ったらまた右も左も分からないような子どもの顔をしてどあほ、と言われた。早く起きろ。毛布を剥がされる。慮りとかそういうのはこの人の辞書には無いのだ。寒い。
「やっぱり膝枕してもらっといた方がよかったかも俺何か首痛いです」
身体を起こし、着すぎてやわらかくなった白衣を羽織りながら嘯くと緒方先生はあくまでも、
「そうだろお前二度とないチャンスを逃したなー」
とにやにやしながら言う。俺はこの人にだけは腹を開かれたくないなあと思う。腹を開かれて緒方先生への碌でもない感情を知られるくらいなら俺は今それをここで言う方がましだと思う。死ぬ前に言っておかなければいけないと思う。緒方先生があっさりと白衣を脱ぎ靴も脱いでさっきまで俺が寝てたところへ横たわる。毛布はまだ温かいはずだ。荒巻、毛布にくるまってくぐもった声が俺を呼ぶ。

「505と511の人のバイタル測っといたから、俺起こす前くらいにまたやっといて。あともし眠れないようだったら鎮静剤打っていいから」
「緒方先生あの、」
「なに、」
「…いや、」
「俺もう寝るよ」
「何でもないです、お休みなさい」
電気を消して廊下へ出ようとすると暗闇の中からそーだ荒巻、とまた呼ぶ。犬か何かの名前と間違えてるんじゃないかと思うような呼び方だ。今度は俺が答える。
「何ですか」
「お前俺のこと好きでしょ」
「はァ?」
「そう書いてあったもん、俺もお前のこと好きだよ」
「どこに書いてあったんですかンなこと」
「顔に」
紙に、と言われたかと思ってぎょっとした。お前の腹から出てきた紙に。黒い血でぐっしょり濡れた八つ折りの紙片に。そんなわけないだろあれ夢の中でも夢だって分かってたような正真正銘の夢なんだから。俺は心を落ち着けるために深呼吸する。緒方先生が焦れたように俺に言う。
「もう12時まわっただろ」
「あー…はいはい俺も先生のこと好きですよ」
「ばーか」
「両想いでよかったですね寝てください」



4月1日だって思いださなかったら明かりを消していたとは言えどんな顔をしていたか分からない。緒方先生に腹を開かれる前に、死ぬ前に、言えたからそれでいいのかもしれない。もうこんなことは言えないだろう。言わないだろう。俺は伸びをして頸をまわした。やっべ、やっぱ肩凝ってるわ。





















'050401
よく考えたら荒巻原作で自動車買ってたよね…。
あのねーあと外科医はあのグリーンの手術着の下はだかなのが萌えで…いやこれ萌えじゃないのかな…わかんない…。