竜崎が越前の右手に劣情を抱くようになったのはそう最近のことでも無かった。それは会った瞬間かもしれなかったし幾度もその息をのむようなテニスのようすを見て少しずつ腑に落ちていったのかもしれなかった。越前の揺らがない眼のひかりを心細くまた憎く思って竜崎は何千回と溜息をついた。 おのおのの左手と右手を重ねるのは向かい合った人間たちにとって不都合で不自然極まりない体勢であることに気づいたのは実際に重ねてからだった。その遅さがとりもなおさず自らの愚かさだった。竜崎の掌は細く白く萎えた植物の地下茎のように貧弱で竜崎自身はそれを好んでいた。越前の掌は竜崎と較べずとも細く白くこちらは猛禽の翼部のかわいた白骨のようだった。 「みぎては使えないの、」 「使えるさ」 「ならなぜ使わないの」 「使わないだけだ、使える」 (そんなのは答えになってない) なら今わたしの髪を引っ張ればいいのに、と竜崎は言おうとして、でもきっと痛いので、やめた。ら、越前の右手が読んだように竜崎の右の三編みを無感情に一度引いて証明した。それは明らかに加減を知らない子どもの力だった。右手と髪の束が2人の間で交差する。越前の左手と竜崎の右手だけが恋人同士のようにむつまじく重なり合うがしかし一方で永遠に彼らは噛み合わない。指の腹手の腹で確かめるように何度も撫ぜるけれどそのかたちの記憶も何もかも触った途端に炭酸水の泡のようにはじけてあたりに散ってしまう。 相対したままでは決して確りとにぎりあえない。そして自分たちは眼を見てお互いに手をにぎりあうことなど出来ない。ただ横に並んで利き手を握りあうことができることの全てだ。それは拘束しあうことで相手を傷つけないことを無言のうちに示してもいたがそのことに気づいていたわけではなく利き手を握りあっていたのは単に貧しい本能と習慣からであった。竜崎の右に越前越前の左に竜崎それが理に適っていると思い込んでいた。 越前が今一度竜崎の髪を自分の方へ引く。苛々していっそほどいてしまおうかしかしそうするにはこの右手は左手にくらべ何故こんなに重たく何かがまとわりつくように不自由な動きしかできないのだろうと越前は思う。貧弱な竜崎の左手も越前と同じようにつたないが何もしようとせず目をやればときおりふるえながらぎゅっと握る湿った小さな手と自分のそれが同じだとは思いたくなかった。不自由な方の手で髪を引きながら一方、自由の利く方の手で竜崎の手の甲を慰撫する。 竜崎がむつまじくしていた手の方を自身の方へ退いた。それをわずらわしく思いながらも越前の左手が追いかけて、捕らえる。 「そっちじゃなくて、」 竜崎が声をふるわせる。越前はそういう態度も含めて竜崎のすべてがわずらわしいと思う。竜崎は邪慳にされることを殊更好む、好む癖に泣いたりする。竜崎が構わず右手を退き代わりのように左手を差し出す。越前も髪の束を放しそれに倣う。越前と竜崎は利き手を放し利かない手をからめ、それ以外にどうしようもないので噛み合ないままでずっといた。使えるくせに武器を持たない利き手を野放しにするあやうさが、越前の頭の中にかかる靄を、竜崎ののどから吐かれるため息を、いっそう濃くして闇を深くする。 手のはなしでした。途中で左右がどうなってるか混乱して判らなくなりました。想像しながら読まないと分からないです。書いてる子がこんなんなので読んだ人はなおさらではないかと思います。わたしは多数派であるところの右利きですが左手の使えなさを文字でどう表現したものか苦労しました。両利きのおともだちが授業ノートをとる際に右手で書いて左手で消す、あるいは右手でえんぴつ左手でマーカーというのをやっていてあれはほんとうに便利そうだった。あとこれを書き終えてから聞いた話で、友人の予備校の自習室にちょううざいカップルがいて2人はいつも隣に並んで手をつなぎながら勉強していたというのを聞いた。男の方が左利きだったらしいです。そういう話誰か書いたらいいんじゃないの?タイトルは見えずとも短歌です。(…) この小説はわたしなどのさくのうけ小説を望んでくださった古街キッカさんのお誕生日に差し上げようと思います。すばらしい一年になりますように。 |