|
何かこういう行き詰まったような状況ってむかしにも体験したことあるなと思った。もっと小学生とかそういうガキの頃。体育とか運動ができる俺のような男子っていうのは大概女子の間で人気があってちょうどあのときもほとんど同じ時期にA子、B子、二人の女子に告られてて、何も考えずにどっちもに「いいよ」とか言ったらそれぞれすげー喜んで、良いことしたなーと思ってたらでもすぐに当然もう一人の存在がどっちもにばれてガキの癖に「浮気」「不倫」「二股」と不名誉な形容詞つきで大騒ぎになって、そのときはかなり心外だった。女のステータスとか薄っぺらい名誉とかプライドとか見栄とかに振り回された気がしてすげー不愉快だった。で、それがちょっとトラウマで中学入っても彼女ができても続かないような情けない事態が多い。倫理観が欠けてると言われることもある。でも目先にやりたいことが来ても我慢するなんてそんな美徳思春期の青少年じゃねーだろお前、老成しすぎだって。うちの副部長かよ。
でも俺を取り巻く状況はあの10歳くらいのときより大分予想もしない複雑さで迫ってくる。先輩が好きになってしまった、しかも二人同時にだ。二人同時にものにしようと思ってんのはあのときと一緒、でも今度はどっちもこっちの片想いだ。片想いって何か言ってて甘酸っぱくて恥ずかしい感じがする、だから俺は早いとこその状態から抜け出したいといつも思って、焦って、失敗する。バカか俺。分かってるけどやめない。でその先輩っていうのは花も恥じらうような美少女とかちょっと不良っぽい大人の女とか(このへん言ってて恥ずかしい)そうじゃないけど普通の可愛い子とかでは全然なくて、同じ男子テニス部のある程度はごつい男の先輩なのだった、二人とも。しかもその二人がダブルス組んでる。ちょっと何か致命的な気がする。 実は仁王先輩には昨日もう告った。思うけど告る告られるって言う動詞がもう何か俺の心構えを体現してる感じがする、お手軽で。ふる方にしたって相手が俺だったら真剣そうな他の奴よりそんなに心痛まないんじゃないかな。何かさっぱり諦めてくれそうと思われてそう、実はけっこうどろどろになるまで苦しんで一人で泣いたり喚いたりしないこともないんだけど、得なのか損なのかよく分からない。 「それで、仁王君は切原君に何と仰ったんですか」 「柳生先輩が好きっス!付き合ってください!!」とこれ以上の直球はないようなやり方で、つまり二人きりのときに大声でまるで未成年の主張の告白のごとく叫んで「お願いします!!!」で髪を振り乱し腰を90°に勢いよく折り曲げて礼する、という方法を、昨日の仁王先輩のときと同じ感じで柳生先輩に対してもやったら、一瞬の沈黙が流れたあと、何だか困惑したようなそんな言葉が聞こえた。 「…え?」 恐る恐る顔を上げて上目遣いで顔を覗くと、続けて驚くような事を言った。 「切原君は仁王君にも同じ事を言ったのでしょう」 まずいことになった、と思い二の句が継げなかったので奇妙な沈黙が辺りを支配した。昨日の今日でもう伝わってんのかよ、あのダブルスは。どういうことだ。ただ、柳生先輩の口調からはただただ困ってるような感じで、咎めるような感じはあんまり受けなかった。 「私だって困るんですよ、仁王君が私も近いうちに切原君に思いの丈をうち明けられる筈だから覚悟しておけとだけを仰ってそれから連絡が途絶えてしまったんですから、頭が痛い」 それで、仁王君はあなたに何と、と続けて促される。 「はァ、何か、『そうかいそうかい』とかにこにこ笑いながら言われて、(あー可愛いなあと思ってたら)いいも悪いも言われずにその場がうやむやに…」 柳生先輩が、俺にか、仁王先輩にか知らないけど大きく溜め息を吐いたので、何かむっとした。 「仁王先輩は関係ないでしょう(どこがだ、我ながら)、俺はいま柳生先輩に…」 「詰めが甘すぎますよ」 「…それは、」 「それなら私だって『そうですかそうですか』と言うしかありません、仁王君と同様にね」 そんな、と思った。 柳生比呂士は仁王雅治であり仁王雅治は柳生比呂士で、二人はまったく違うのに確かに寸分違わず同じだった。 「……あんたらには個人ってもんは無いのかよ、二人で接着剤でくっつけられたみたいに一緒にいて、同じ返事を俺に返してそれで仕方ないみたいな笑い方して満足してんのか?俺はあんたらを引き剥がしたいんだよ」 これだよ。そんな事言わないでください好きなんですと言おうとしたらこういう言葉が考えなしにほいほい喉から出てしまう。言ったそばから頭を抱えたくなったが口から出てしまったもんはどうしようもないので柳生先輩の眼鏡の奥を睨むようにする。 そこでふと気づく。ああそうかもしかしたらこの目の前の柳生比呂士は昨日と同じ仁王雅治って可能性もあるわけだ。いや待てよ、その逆もしかり、つまり目の前の柳生比呂士は柳生比呂士であって昨日の仁王雅治も柳生比呂士である、そういうことだって可能性としては考えられる。複雑な事を考えるのには向いていない性格をしていることは自覚している。考えるうちに訳が判らなくなってくるが、少なくとも二人のうちどちらかに告白しようとしているのではないから相手を取り違えるなど諸々の支障はないような気もする、しかし根本から自分が間違っていたような感じもして頭が痛くなってくる。 「切原君、時々言葉遣いが悪くなるのはいけない癖です。直してください。内容についてはノーコメントです」 こちらの事情などお構いなしに淡々とかつ事務的に、「述べる」という表現が一番適切な言い方で俺に返す。俺はさっきから気になってたことがまだ頭を離れない。 「…なァ、あんた誰だ…?」 眼鏡の下の眼が詐欺師の目に見えて仕方ない、巧妙なファンデーションで口元のほくろが覆われている気がする、俺は一歩ゆっくりと歩み寄った。砂まみれの床がじゃりっと不穏に鳴る。先輩と後輩のあいだには開けておかなければならない距離がある。それを侵した。 「聞いていましたか。いやしくも目上の者に対してそんな言葉の使い方はすべきではありません。私は柳生比呂士です」 「違うよ、あんたは仁王雅治だ。詐欺師だよ」 視線を顔に彷徨わせる。柳生先輩の姿をした誰だか判らないその人物は、一歩近づいても後じさらない。自信と余裕に満ちている。手を伸ばして唇の横のほくろの位置を拇ゆびの腹でなぞっても一ミリも身を退かない。頬から顎を撫でる俺の手首をやんわりと掴み下ろさせて主張する。 「違います、私は柳生です。話を元に戻しましょう、貴方は私と仁王君どちらも好きだと仰る」 俺が言い募る決めつけに呆れたのか、飽くまでも理知的に理論立てて会話を運ぼうとする。やっぱり柳生先輩なのか?自信が無くなる。 「…ああ、はい」 「道徳的観点からしても君はより適当などちらか一人に決めた方が良いでしょう」 より適当なってそんな、と思いかけたときに、がたんと後ろで音がした。薄暗い部室に誰かが入ってくる。誰だろう、心拍数が上がる。じゃりっと足音が近づいてきて、その人間が視界に入った。 そこに居たのは柳生比呂士だった。 いやそれは正しくない、そこに居たのは柳生比呂士の姿をした人物だったという方が「より適当」だろう。今まで真向かいで話していた柳生比呂士は一体どうした?翻って確認するとそこにも柳生先輩がいる。今この場所に二人の柳生先輩がいることになる。こういうの何て言うんだっけ、ドッペルゲンガー?いや違う、間違いなくこのどちらかが柳生先輩になりきった仁王先輩なのだ。それなら、と俺は思う。はっきりするんじゃないか?本物の柳生先輩は、相手の事を仁王君と呼ぶ筈だ。白黒はっきりする。と、二人の口が同時に開く。俺は凝視する。 「仁王君…」 「仁王君…」 仁王雅治は柳生比呂士を騙っている。困ったことになった。どちらもが相手を仁王だと言い張る。俺にはどちらが本物か全く全然判らない。七三分けにしたさらさらの髪とセル縁の軽そうな眼鏡とその奥の見据えるような眼球と落ち着き払った物腰が全部セットになって二つある。無駄だと思いつつも口を挟んだ。 「あのー…」 二揃いずつの眼がこちらを向いて感情の無い視線で怖々尋ねる俺を焼いた。 「…どっちが柳生先輩なんスか、」 じゅっと髪の先が焦げたような気がした。 「私ですよ」 「私ですよ」 だから、あの、と続けようとしてやっぱり無駄なことに気づいて今度は止めた。そんな訳がない、柳生先輩が二人いる訳がない。落ち着け俺、どちらかは仁王先輩だ、それは確かだ。それなのにそれから先はどうあっても確かめる術がない。俺はひとつ咳払いをした。同じ筋肉を使い同じ首をくるりと回して線対称の二人がこちらへ振り返る。 「仁王先輩、柳生先輩、知ってますか」 俺は続ける。 「ディズニーランドのミッキー。ミッキーじゃなくてもいい、ミニーでもドナルドでもデイジーでもいいっス。あいつらの着ぐるみはディズニーランドに何体も同じキャラのスペアがあるんですよ、でも二人のミッキーが同じ瞬間に同じ場所に居ることは無いんです絶対。許されないんです。そういう決まりになってるんです。それって何でだろう誰のためだろう」 二人の柳生先輩の眼が困惑で揺れる。 「判りますよね、ミッキーを愛する子どもたちのためっスよ、ねえ仁王先輩、柳生先輩が同じときに同じ場所に二人も居ちゃいけないんです俺のために。愛してるんです二人とも」 何か無理あるなあと自分でも思ったけど、結局は勢いなんだと思う。こごっていた柳生先輩の表情が少しずつ解凍してきたように見えた。二人の柳生先輩はどうしようかという風にお互いに視線を交わし会った後、こちらを向いて首を垂れた。 「切原君、申し訳ありませんでした」 「切原、すまんかったな」 そう言ってすぐ背中を向けて俺がどっちがどっちか確かめる間もなく部室を離れようとする。 「えっちょっと待っ…!」 二人が揃って首だけ振り返り、どちらかがにやっと笑ってもう一人に目配せする。そっちが仁王先輩だと思うがその瞬間笑った方が右だったのか左だったのか判断がつかなくなっている。しかももうどっちが先に部室にいた柳生先輩かも判らなくなっていて、俺は悔し涙を飲んだ。厄介だ。これは厄介すぎる。止めといた方が良いのかもしれない。でも俺は賢くて礼儀正しい眼鏡の奥の眼もきれいで狡そうな口の端のほくろもどっちも手に入れたい選べない、だからきっとたぶん絶対諦めない。 |